何の変哲もない、平均的な

高校野球のこととか

「いつもの野球」いつもの笑顔 - 河野孝宏投手(倉吉東・3年)(1988.04.03)

試合終了後のインタビューの最中、相手の桐蔭学園を取材した記者が「君の配球はすべて読まれていたそうだよ」と質問を浴びせた。しかし、河野は顔色を少しも変えることなく「分かっていました。前半は外角を右へ、後半は細かくいろいろと。でも、いいんです。気負わない、いつもの野球で僕らは勝ってきました。だから、いつもの配球を通していきました」とニコニコしながら答えた。


8回1死二塁から桐蔭学園の4番・根岸に左翼手の右を襲う三塁打を打たれ、これが決勝点となった。打球を追いかけた左翼手が体のバランスを崩して転倒。もう少し、落ち着いた判断をしていれば……と悔やまれるプレーであったが、「あれねえ。あいつ、練習中によくやるんですよ。思わず笑っちゃいました」。


大会前の評価は高くなかった。しかし、絶妙の制球力を武器にボールをコーナーに散らす揺さぶりピッチングで頭脳派投手としての本領を発揮、2回戦で強打の東海大山形を5安打完封するなど快進撃を支えた。「一番弱いチームの一番頼りないエースだといつも思いながら投げたから、すごく気持ちが楽でした」


鳥取の空と顔しか知らなかった僕らが、甲子園の空と全国の顔を見せてもらいました。都会チームのバッティングはすごいなあと思った。夏までにタテの変化球をきっと勉強します」。168センチの小さなエースは、インタビューのお立ち台でぐっと胸を張った。(石)


毎日新聞、1988.04.03東京朝刊22面)