何の変哲もない、平均的な

高校野球のこととか

敗戦にも淡々 - 防府商の井神投手「欲持ったのが失敗」(1974.08.20)

立ち上がりから14人の打者を手玉にとっていた防府商・井神投手の顔が、6回、くやしそうにゆがんだ。遊ゴロ失からはじまった2死三塁のピンチで、3番前嶋への第1球。得意のカーブを外角いっぱいに投げたつもりが、わずかな違いで真ん中へ――。「あっ、いかん!」と思った瞬間、打球は中堅手左へライナーとなって飛んだ。


それまでの井神は全く機械のような正確さで、カーブを、直球を、そしてシュートをコーナーに決めて銚子商打線をぴったりと抑えていた。「きょうは全神経を使って投げました。最初は10点くらい取られる覚悟だったのに、スタートはすごくよかった。4回ごろから投球の間隔をおいたりしてタイミングをはずした。ところが、6回ごろから、これならいけるんではないか?と少し欲をもったのがいけなかった。力みすぎたんです」と、井神は大量失点の原因を話す。そして「やはり、力のない者が欲をもつとだめですね」ともいった。しきりに「自分の非力」を強調するだけで、バックスの失策についてはひとかけらも悔やまない。「だって、仕方ないでしょう」。無理な問いに向かって、口をとがらす。「九人が一緒になってやっているんですから、これはみんなの責任なのです。とくに、僕に力があれば打たせずにすむんですから……」と、どこまでも静かな口調。


9回、最後の打者重田が三ゴロに倒れた。ベンチの中央に座っていた井神は、桧垣捕手の視線に出くわすと、にっと笑いさえ浮かべて立ち上がった。もう、その時には6回の失投のくやしさもどこかへ消え去っているようだった。


「自分なりによくやったと思います」と胸を張るエース。そのさわやかな態度には、なるべく親に負担をかけないで野球をやろうと、ゴルフ場の芝張りや、冬の郵便配達で得た賃金を遠征費にあてた心意気が感じられた。「地方大会からぶっ続けの一か月余りの合宿がすごく楽しかった。野球のことや、将来のことを話し合った夜が忘れられない」とのことだった。真紅の大優勝旗は逃したが、敗れたエースは、それ以上に大切な「なにか」を手にしたのではないか。悲壮感も、涙もなかったのに、なぜかジーンと胸に来るものがあった。


朝日新聞、1974.08.20東京朝刊15面)