何の変哲もない、平均的な

高校野球のこととか

相手は上原、2年前と同じ - 函館有斗・盛田幸妃投手(1987.08.12)

上原のいる沖縄水産と当たっただけでも不思議だったのに、またこんな場面が来るとは――。マウンド上の盛田幸は、運命のいたずらを感じていた。8回2死満塁。「押し出すんじゃないかな、この前と同じように」。一瞬、2年前のシーンが頭に浮かんだ。


60年8月9日、1回戦第4試合。相手は沖縄水産。1年生でベンチ入りした盛田幸は0-4の5回1死満塁でリリーフに立った。スタンドの光景も、グラウンドの広さも、そして暑さも覚えていない。ただ、捕手が構えた姿だけが脳裏に焼きついている。四球で押し出し。さらに6回には2四球のあと3点本塁打。忘れたい思い出だ。


この年、49代表735選手の中で、1年生は15人。マウンドに上がった投手は盛田幸以外に3人いた。辻本(智弁学園)、一条(藤嶺藤沢)、そして沖縄水産の上原。1年生投手が同じ試合で投げたのも珍しい。それが2年後にまた投げ合う確率は何万分の一、いや何十万分の一しかないのではないか。


7回までは、互角というより投げ勝っていた。試合も2-1でリード。そして、運命の8回を迎える。


カウントが2-3となった。ちょっと腕が縮んだ。速球を投げたつもりが、慎重になった分、ボールが外にスライドした。再び押し出しの悪夢再現。さらに痛打を浴び、逆転されてしまった。


盛田幸は上原と言葉をかわしたことはない。試合終了後のあいさつで「がんばれよ」と声をかけたが、歓声で返事は聞こえなかった。


日本南北両端に育ったエース。同じ漁港の町で白球に青春をかけた二人が、ちょうど中間地点に当たる甲子園で体験した不思議な出会い。「将来も野球を続けたい。きっとまた、どこかで上原と投げ合う気がする。その時、ぼくを覚えていてくれるかな」。いたずらっぽい目が輝いた。(石沢)


朝日新聞、1987.08.12東京朝刊19面)