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何の変哲もない、平均的な

高校野球のこととか

「ニコニコ野球」さわやかに去る - 甲子園わかせた浦和市立(1988.08.22)

観衆5万人の阪神甲子園球場が、「うわあーっ」と、ひとつのため息と化した。


浦和市立最後の打者松岡英明君、投ゴロで、一塁にアウト。第70回全国高校野球選手権大会朝日新聞社、日本高野連主催)に初出場、21日の準決勝に進出した浦和市立は、ついに、広島商に敗れた。打っても、打たれても笑い、ストライクが入っても、ボールとなっても笑顔を見せながらの「全員ニコニコ野球」は、甲子園に、さわやかな風を残して、去った。「ここまで来たとは、信じられません」と、口ぐちに言う選手たちに、大観衆から惜しみない拍手が送られた。


涙はなかった。試合が終わって、引きあげてくる選手たちは、いつものようにニコニコしていた。「きょうは最高の出来でした。みんながよく守ってくれたから全然緊張しませんでした」。したたり落ちる汗にも構わず、五試合を投げ抜いた星野豊君は、笑顔で、インタビューに答えた。


手には、はち切れそうにふくれあがった袋が二個。ベンチ前の土をとって引きあげようとする星野君をグラウンドキーパーが引きとめた。「マウンドの土を持って帰ったら」と。自分の汗がしみこんだ土を、ベンチ入り出来なかった同じ3年生投手の分も詰めた。


そばで、主将のそう*1手克尚君も、笑っている。彼はいつも全力疾走した。守備位置の左翼につく時も、三塁ベンチから一目散にかけた。敗れたときも、まっ先にベンチを飛び出し、本塁に整列するため、全力疾走した。「僕は守備も一番下手だし、バッティングもだめ。せめて全力疾走することで、みんなの信頼を得たいと思っていたんです」。


中村三四監督(36)も笑顔だった。「負けたのはちょっと悔しいけれど、選手たちが甲子園を思う存分楽しんでくれたのがうれしい」。好きで野球をやるのだから、楽しんでやらなければと、「楽しむ野球」が口ぐせだ。「私も甲子園が夢でしたから」といって、中村監督は、ベンチ前の土をひとつかみつかんでポケットに入れた。


朝日新聞、1988.08.22東京朝刊31面)

*1:「そう」の字は草かんむりに隻。