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何の変哲もない、平均的な

高校野球のこととか

甲子園球児の出場パターンを分類してみた

センバツが閉幕しました。浦和学院がとうとうやってくれました。過去何度も優勝候補に挙げられていながら毎回敗退していただけに、私自身も「今回もまた準々決勝あたりで負けるのかな」と若干思っていたのですが、3回戦以降全て二桁安打の猛打っぷりはその予想を盛大に覆してくれました。

さて、高校球児の甲子園出場パターンを分類してみました。

 

現行の学校制度では、高校球児は入学から卒業まで最大5回甲子園に出場するチャンスがあります。そのため、理論上は2^5-1=31 通りの出場パターンがあることになります。戦後の学校制度が施行されてから60年以上経つわけですが、果たして各31パターンを満たす高校球児が過去本当に存在したのかどうか検証してみました。

 

  • 1. 3年夏のみ出場(BBBBA型)…(例)多数

最も多いパターンです。3年夏のラストチャンスに念願の出場を果たすとこうなります。このケースは、春よりも夏のチャンスが広がる地区(例:東北、一昔前の関東、北信越、九州など)に比較的多いです。

 

  • 2. 3年春のみ出場(BBBAB型)…(例)多数

これも多いケースです。新チーム結成後の秋季大会で好成績を残して選抜に出場したものの、夏は地方予選で涙を呑んだというケース。1.との違いをあえて挙げるとするなら、近畿や一昔前の東海のように夏よりも春の方が甲子園出場のチャンスが広がる激戦区に多いように思われます。

 

文字通り、3年春夏の甲子園に連続出場したケースです。連続出場というのはチームは新チーム結成以降安定した成績を残したことの結果でしょう。ちなみに過去30年(1973~2012)の選手権優勝校のうち、その年に春夏連続出場を果たしているのは19/30≒63.3%です。これが果たして高い(低い)といえるどうかは難しいところ。甲子園優勝投手のヤクルト監督の小川淳司習志野)も3.です。

 

2年生にしてベンチ入りを果たし、甲子園出場を果たしたというパターン。このケースは1.同様春よりも夏の方が出場チャンスが広がる地区に比較的多いです。面白いのは金城や中村のように最激戦区大阪で夏を制した選手がいるという点です。金城がバッテリーを組んでいた藤井彰人も、このパターンに該当します。

 

 2年夏に甲子園出場を果たし、翌3年夏に連続出場を果たしたというケースです。これもどちらかと言うと地方の学校に多い気がします。

 

2年夏と3年春に出場を果たし、3年夏は地方予選で敗退したというケースです。5.との違いは春の出場という点で比較的都市部に多いということでしょうか。

 

2年夏から3季連続出場するケースです。ここに名前が挙がるチームは総じて強いです。ちなみに高津の高校時代は控え投手で、甲子園の出番は代打の1打席のみでした。

 

2年春のみ出場したケースです。 この時点でチームの主力だった選手はその後甲子園の土を踏めなかったという点で惜しまれます。

 

 6.の逆パターンです。2年春と3年夏に出場したケース。涌井や辻内は2年時は控え投手でしたが、翌年は主戦投手として満を持して甲子園に戻ってきました。

 

これは珍しいです。春はいずれも甲子園の土を踏んだものの、夏はご無沙汰というケース。例に共通しているのはいずれも都市部の激戦区に属する高校の選手である点です。この他にも、荒木雅博(熊本工)もこのケースに分類されます。

 

2年春に甲子園の土を踏み、3年次に春夏連続出場を果たしたケース。上記のうち、石田以外は大阪の学校です。下級生から大舞台を踏み、最上級生として挑む夏はチームの主力として最激戦区を制しました。元木と選抜決勝を戦った山田喜久夫(東邦)もこのケースです。

 

2年次に連続出場を果たしたケース。ちなみに鈴木は高校時代ショートでした。

 

「投げると砂塵が待った」とのエピソードが有名な前岡勤也(新宮)もこのケースに分類されます。

 

2年春から3季連続で甲子園の土を踏んだというケース。選抜優勝投手の池永、東北屈指の左腕嶋、完全試合男の中野などがいます。そんな好投手でも最後の夏は予選で敗退しているあたりが甲子園に至るまでの道程の険しさを物語っています。池永が敗れた相手は、亀井進を擁しその年決勝に進出する早鞆でした。

 

ここに名前が挙がる球児は間違いなくその世代を代表する選手であることが多いです。金属バット元年の夏を制した剛腕土屋、春夏連覇を達成した石井や島袋、そしてダルビッシュ。最近では、3季連続準優勝の光星学院北條史也田村龍弘もこれに分類されます。

 

1年の夏に甲子園の土を踏みながら、その後は聖地から遠ざかった選手です。入部早々チームの主力として活躍したあたり、その野球センスには末恐ろしいものがあります。新浦に関しては大会後にドラフト外で巨人に入団し、高校を中退しました。その後ドラフト規定が変更され、「日本の高校に在学する選手は、全てドラフト会議に諮ることとする」との一文が付け加えられました。

 

1年夏に出場し、その後ラストチャンスの3年夏に甲子園に戻ってきた球児です。愛甲は1年から怪童として注目されていました。ちなみに畠山は父と兄も甲子園球児の野球一家だというのは有名です。

 

同じく1年生シリーズ。これは3年の春に選抜に出場した選手です。「春=激戦区にチャンスが広がる」という法則性からか、例にあるように神奈川や大阪、兵庫の選手が挙げられます。

 

一方こちらは3年時に連続出場したケースです。最上級生としてチームを甲子園に導く原動力となっている点では、1年夏の出場経験を他の選手に還元していると言えます。実際に、強豪校の中には甲子園のベンチ入りメンバーを決める際に新チーム結成時に役立てるべく必ず下級生を入れるチームも存在します*4

 

 下級生時に夏の連続出場を果たした選手です。これは珍しい。高橋は2年夏の開幕ゲームで沖縄尚学と対戦し、2番手投手としてサヨナラ打を浴びて敗れました。

 

3度の夏の大会でいずれも甲子園出場を果たしている選手。夏に標準を合わせてくる辺り、非常に勝負強さを感じます。仁志は初出場の常総学院をで1年生レギュラーとして準優勝に導き、その後坂が3年次に悲願の全国制覇を達成しました。

 

こちらも3年連続で甲子園に出場していますが 、21.とは違い3年夏ではなく3年春に出場したパターンです。

 

こちらは 2年の春以外に出場したパターンです。松井やいた頃の星稜、森岡がいた頃の明徳義塾はいずれも戦力が厚く、むしろ甲子園に出場できなかったのがあるのが不思議に思えるくらいです。特に松井は秋季北信越大会で4強入りしており、結果的に5季連続出場にあと一歩ということになります。この時敗れた相手は上田佳範を擁する松商学園でした。

 

  • 24. 1年夏、2年春に出場(AABBB型)…(例)田村伊知郎(報徳学園

同じく1年生シリーズ。1年夏から2季連続で出場したパターンです。最近では報徳学園の田村がこれに該当します。かなり珍しいので他の例が思い浮かぶ方はコメント欄にてお待ちしております。

 

 こちらも3年連続出場です。21.との違いは2年夏ではなく春に出場した点です。本田や伊藤あたりは下級生時から騒がれていながら2年夏、3年春と悔しい思いをしただけに最後の夏のカムバックは胸に帰するものがあったでしょう。

 

  • 26. 1年夏、2年春、3年春に出場(AABAB型)…(例)大塚尚仁、溝脇隼人(九州学院

こちらも3年連続出場。3度甲子園に出ていながら、夏は1年夏の一度きりというのが珍しいです。 26.もサンプル数が少ないのでご報告お待ちしております。

 

これはかなり珍しいです。5季連続出場よりもある意味難しい。2年夏以外全て甲子園の土を踏んだ選手です。中西は1年夏に森浩二の控え投手としてベンチ入りし、2年春はライトとして出場しました。

 

 下級生時に3度甲子園に出場しながら、最上級生としては甲子園の土を踏まなかった選手です。尾崎は2年夏の甲子園終了後に高校を中退し東映入りしました。

 

  • 29. 1年夏、2年春夏、3年夏に出場(AAABA型)…(例)原辰徳、津末英明(東海大相模)、上原晃(沖縄水産)、加藤政義(東北)

3年春以外に4度出場した選手です。原や津末東海大相模で同期だった村中秀人(現・東海大甲府監督)も29.に分類されます。ちなみに上原は函館有斗の盛田と1年夏と3年夏の2度甲子園で投げ合っています。同一チームが甲子園で春夏ともに顔を合わせるのは多いですが、同学年の投手でしかも1年夏と3年夏に甲子園で投げ合うというのはかなり珍しいのではないでしょうか。

 

1年夏から4季連続で甲子園の土を踏みながら、最後の夏は地方予選で敗れた選手です。王は最後の夏、都大会の決勝で延長12回4点リードの状況から逆転サヨナラ負けを喫し、涙を呑みました。後の取材で王は「もし5季連続出場を果たしていたら野球にけじめをつけて大学にいっていたと思う。最後に出られなかったことで気持ちが宙ぶらりんになった」と語っています。最後の夏に敗れたことが世界のホームラン王誕生の伏線となっているというわけです。現役選手では中日の谷がいます。

 

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。新制の学校制度において、5度の出場機会全てに甲子園に出場した運と実力を兼ね備えた選手は過去9人しかいません。一応補足しておくと、堤は高松商の俊足外野手、小沢・黒柳は早実の二遊間コンビ、鶴川と梅田はそれぞれ明徳の投手と内野手、道端は智弁和歌山の強打の捕手です。甲子園のスターだった荒木、桑田、清原については皆さんご存知でしょうから今更私が語るまでもないでしょう。

*1:2年次中退。

*2:3年春は出場辞退。

*3:静岡商定時制1年修了後に同全日制1年に編入。同年9月に中退。

*4:例:愛工大名電など。

*5:浪商2年次11月に中退。

*6:3年春は出場辞退。