2014-01-01から1年間の記事一覧
観衆5万人の阪神甲子園球場が、「うわあーっ」と、ひとつのため息と化した。 浦和市立最後の打者松岡英明君、投ゴロで、一塁にアウト。第70回全国高校野球選手権大会(朝日新聞社、日本高野連主催)に初出場、21日の準決勝に進出した浦和市立は、ついに、広…
ついに一度もマウンドを踏むことなく、エースの夏が終わった。「すまなかった」と泣き崩れる小島投手に、仲間さえ掛ける言葉が見つからなかった。 138キロの直球とチェンジアップのコンビネーション。鋭くコーナーを攻めるカーブと「何事にも動じない精神力…
ヒゲの源さんが、ついに甲子園を去った。準々決勝まで三試合とも逆転勝ち、しかも二度までが9回の逆転サヨナラと乗りに乗っていた甲西も、PL学園には歯が立たなかった。「でも、大手を振って滋賀へ帰れます」。学校創立三年目で甲子園の夢を果たし、あれよあ…
熱戦を振り返って - パワー頼みを脱皮 ミート復活 バントも多用 (朝日新聞、1985.08.22東京版朝刊18面) 今年のPL学園は、一昨年から投打の主軸だった桑田、清原が最上級生になったチームではあったが、パワーでは抜群の優勝候補といわれた昨年のチームより…
上原のいる沖縄水産と当たっただけでも不思議だったのに、またこんな場面が来るとは――。マウンド上の盛田幸は、運命のいたずらを感じていた。8回2死満塁。「押し出すんじゃないかな、この前と同じように」。一瞬、2年前のシーンが頭に浮かんだ。 60年8月9日…
「ピンチになればやっぱり胸はドキドキしたけど、キャッチャーのミットだけ見て投げた」 専大北上・畠山投手はもともと赤いホオを勝利の興奮でいよいよまっかに染め、トツトツと話した。「岩手は野球のレベルが低いなんていわれるのがいやだから、全力を尽く…
これだけ人は泣けるのか、というぐらい、鳥栖商の城本は泣いた。先発するも、4回途中に降板。「重野に、そして使ってくれた監督に申し訳なくて」 堀江監督は、これまで2試合を完投した重野ではなく、城本を先発に選んだ。「うちはスターはいない。全員にチャ…
「ここには二度と来れないと思っていた。来れただけでも最高なのに、そのうえ勝つなんて……。最高の最高です」。延岡工の西浦秋夫監督(36)はこういうと、うるんだ目で遠くを見た。 西浦監督が最後に甲子園に来たのは18年前。日南工からドラフト7位でプロ野…
立ち上がりから14人の打者を手玉にとっていた防府商・井神投手の顔が、6回、くやしそうにゆがんだ。遊ゴロ失からはじまった2死三塁のピンチで、3番前嶋への第1球。得意のカーブを外角いっぱいに投げたつもりが、わずかな違いで真ん中へ――。「あっ、いかん!…
試合終了後のインタビューの最中、相手の桐蔭学園を取材した記者が「君の配球はすべて読まれていたそうだよ」と質問を浴びせた。しかし、河野は顔色を少しも変えることなく「分かっていました。前半は外角を右へ、後半は細かくいろいろと。でも、いいんです…
大会総評 - 「総合力野球」の勝利実証 (朝日新聞、1987.08.22東京朝刊22面) 今大会も、優勝したPL学園、準優勝の常総学院、ベスト4に勝ち進んだ帝京、東亜学園が実証するように、総合力野球の勝利だった。パワー野球からの移行は、一昨年あたりから始まっ…
熱戦を振り返って - パワーより総合力 エラーの半数は悪送球 (朝日新聞、1986.08.22東京朝刊18面) 攻守にバランスが取れた天理と松山商が決勝に進出した。この現象は、池田で始まったパワー重視の攻撃野球が、防御を加味した総合力野球へと、流れが変わり…
大会総評 - 浦和市立、光った「無欲」さ 大型チーム、思わぬもろさ (朝日新聞、1988.08.23東京版朝刊24面) 「戦国大会」の前評判通り、各チームの実力に差がなく、有力校が次々と敗れ去る波乱の大会となった。その中で、初陣の浦和市立が、はつらつとした…